地方議会の選挙制度に関する一提案



   はじめに

 私は、地方自治に関連して地方議会の選挙制度を改革することを提案したい。また、読者は、その制度の実効性を確保するためには、地方議員の定数を削減する必要があることを注意されたい。

 今年の六月頃に、私は書店で加藤[1998]を購入した。元来、選挙制度については興味があったので、大変面白く読むことができた。私が気になったのは、まえがきで編訳者が「放置されている参議院と地方議会の選挙制度も改革されねばならない」と述べている点であった。

 確かに、現在の選挙制度では、代表制の類型から外れていることや、非移譲式のために当選基数以上の得票は全て無駄になることなど、直感的にも問題ではないかと思うことは多々ある。

 また、オルテガが『大衆の反逆』において、「民主主義が機能するかどうかは、選挙制度次第である。選挙制度が悪ければ、何もかも失敗し、選挙制度が合致すれば、何もかもうまく行く」と述べていることも想起する必要があるだろう。選挙制度の失敗は、民主主義の機能不全につながる恐れがあるのである。つまり、現行の選挙制度では、地方自治の実現など不可能に近いのではないかと私は考えるに至ったのである。

 このような理念に従って改革されたのが、衆議院の選挙制度であった。残念なことに、マスコミの報道を見る限り、選挙制度と民主主義の相関関係を指摘したり、中選挙区制という日本独自の制度はもともと誤りであって、制度疲労以前の問題であることを指摘する視点はなかった。このようなマスコミの現状では、地方自治の根幹を成す選挙制度の改革に、国民が目を向けることは期待できないだろう。

 以上のような考え方から、私は、選挙制度の改革は必至であり、早急に行わなければならないと考える。以下では、まず、私の考える望ましい地方議会の選挙制度として、比例代表単記移譲式を提案し、その理由を述べることとしたい。
 

   望ましい選挙制度

 地方議会の選挙を改めるのであればどのような制度が望ましいのであろうか。この問題を考える際に注意する点は、地方議会は国会とは基盤となる政治制度が違うということである。その最大の違いとは、首長の直接選挙だと私は考える。

 現在の衆議院が小選挙区制を中心とした制度であるのは、衆議院の持つ首班指名機能を考慮したものだと説明される。小選挙区制は、ウォルター・バジョットもいうように、議院内閣制の国家において最も重要な議会の機能である、首相の選出に適した制度である。逆に、比例代表制は、議会内の交渉によって首相が決まるため、首相選出に対して、国民が直接的な影響力を行使できない。従って、小選挙区制を衆議院で導入したことは、理解できる。

 しかし、地方議会の場合は、首長は別に直接選挙で選び出されるのだから、小選挙区制はなじまないと考える。必然的に、比例代表制によって選出されるべきだとの結論が得られる。そこで問題となるのは、地方議員、特に市町村議会議員のほとんどは、無所属だということである(谷[1997]による。谷はこの情報を自治省のホームページから得たそうだが、筆者がアクセスしたところ、この情報は見出せなかった)。

 従って、比例代表制を導入するとしても、日本でなじみのある名簿式は導入できない。名簿式ならば、無所属候補が事実上排除されるからである。つまり、単記移譲式以外の制度は、望ましくないとの結論に達するのである。

 それでは、私の提案する比例代表単記移譲式とは、一体どのような制度であろうか。あまり、日本では知られていないこの制度を、以下で説明することとしよう。

 比例代表単記移譲式は、現在はアイルランドなどで実施されている選挙制度である。比例代表制は、現在では世界的にも名簿式が主流となってしまった。しかし、最初に比例代表制を考案したヘアーの案は、この単記移譲式であった。

 この制度は、以下の方法によって当選者を決定する。

 まず、有権者は自分の選挙区の候補者全員に順位をつける。そこで第一位の票を集計し、当選基数に達した候補者を当選とする。次に、当選した候補者の得票のうち、当選基数を超えた票、つまり剰余の第一位の票を、第二位に順位をつけられた候補者へと移譲する。それでも剰余票が不足した場合、つまり当選基数に達する候補者のいなかった場合は、第一位の集計時点での最下位の候補者の第二位票を使用する。それを定数に達するまで行うのである。

 なお、移譲の方法には、ヘアー式、ヘアー・クラーク式、グレゴリー式の三つがあるが、移譲に関して偶然性を排除したグレゴリー式が望ましいと考える。これは、移譲の各段階で、常に第一位の票にまでさかのぼって全投票を調べ、各順位ごとに移譲可能票と剰余票の比率を計算した上で票を移譲するというものである。

 以上の説明を見てもわかるように、この方式の最大の欠点は、有権者にわかりにくいということであろう。また、全ての投票を開票して、それぞれの順位を明らかにするため、開票に時間がかかることも欠点として上げられよう(アイルランドでは、全議席の結果が判明するまで一週間ほどかかるそうである)。

 しかし、最も合理的な選挙制度を排除するには、以上の欠点だけでは不充分だと考える。特に、住民の意思を反映させつつ、しかも無所属の候補者を排除しないためには、この制度以外には考えられない。
 

   私案の実効性の確保

 その他の制度を継続して、以上のような選挙制度に変えると、ある問題が発生するのではないかと私は懸念している。それは、市町村議会議員選挙において、移譲式の特質である候補者の順位づけが難しくなり、有権者が安易な投票を行うのではないかということである。

 現在の市町村議会は、公職選挙法第一五条によって、特別な理由のない限り複数の選挙区を設けられない。従って、政令指定都市以外で複数の選挙区を設けている市町村はない。この結果、今回提案した私案を実施した場合に、選挙区が大きければ大きいほど、立候補者の人数も増え、有権者が吟味しなければならない人数も増えてくるため、有権者は、投票に対する情報コストの高さから、タレント候補を高順位にしたり、他人の依頼のままに投票するなど安易な投票をしてしまいがちになってしまう恐れが強い。

 かつての参議院全国区を見るとそれは明らかである。全国区は順位をつける制度ではなかったが、定数五〇人の大選挙区制であったため、立候補者は常に百人近くに達した。この結果、有権者は、知名度の高い人物か、組織・団体の推薦する人物に、安易に投票する結果となった。全国区は、候補者の側の事情によって改正された側面が強い。しかし、有権者の側から見ても望ましい制度ではなかったのである。

 こうした事態を避けるためには、三つの方策が考えられる。ひとつは、市町村の再編成を行うことである。これまでに、何人もの論者が市町村の再編成について提言を行ってきた。 逆にいえば、これらの改革を進めることは、かなり難しいといわざるを得ない。

 もうひとつの方策は、議員の定数を削減することである。こうした主張をする論者も多い(最近では北岡[1998]など)。この方策が実施できないのは、地方議員と国会議員との間に、密接な協力関係が築かれているからだろう。ただし、この政策の実施は、市町村の再編成に比べると国民に対しても分かりやすく、また賛成も得やすいので、国会議員のやる気か国民の声(国会議員にとっては落選の恐怖)さえあれば、実現の可能性は低くないだろう。

 最後の解決策は、単純なことのようであるが、市町村議選挙にも複数の選挙区を設けるということである。その実施方法としては、公職選挙法を改正し、条例によって選挙区を画定できるようにすることが望ましい。ただし、ゲリマンダリングを排除するなどの、公正な選挙区を設けるためには、現在総理府に設置されている選挙区画定審議会に準ずる組織を設けなければならないだろう。

 このような組織を各市町村に設置するということは、物理的にも制度的にもかなり難しいと考えられる。その代わりに、自治省に設置して各市町村をまとめて審議する機関とすることは、住民自治の原則との兼ね合いから賛成しかねる。つまり、最後の解決策の実施は、単純なようでいて最も難しいのではないかとも考えられるのである。

 このように、解決策を吟味すると、市町村議員の定数を削減することこそ、最も現実的だと思われる。

 ただし、これらの市町村に政令指定都市は含まれない。なぜなら、政令指定都市は、「区の区域をもつて選挙区とする」という規定が公職選挙法第一五条六項でなされているからだ。従って、政令指定都市に関しては以上の議論とは逆の、定数を増加させるべきだとの意見を私は述べたい。

 これは、筆者自身の住む横浜市の実情を参考して、得られた結論である。従って、その他の指定都市を知る人の中には、私の意見に反対の方もおられよう。その点は今後の議論を望みたい。

 横浜市は、今年の六月に定数を削減する条例を制定した。これによって、最も小さい中区は一人区となり、この状態を継続させるならば、比例代表制の導入は無意味となってしまう(一人しか当選しない選挙区で、得票率に比例した議席配分は不可能である)。その他の選挙区でも、小人数しか当選しないため、比例代表制の特質を生かしきれないだろうと想像される。従って、私は政令指定都市選出の市議会議員の定数を増やすべきだと考えるのである。
 

   おわりに

 この小論の中で私が述べたかったことは三つある。ひとつは、選挙制度と民主主義には非常に深い関連があり、選挙制度論をないがしろにした民主主議論はありえないということである。この場合の民主主義は、当然のことながら、住民自治や地方自治といった言葉と置き換えることは可能だ。

 二つ目は、にもかかわらず、現在の地方議会の選挙制度は、民主主義を機能させないために存在している制度としか思えないということである。特に、町村議会選挙の選挙結果を見ると、定数二二名のところに立候補者二五人で、最下位当選者と次点者との得票差が一であるのに、最多得票者と最下位当選者との得票差が二百程度あるのは、問題ではないのかという疑問であった。

 三つ目は、私事で恐縮だが、横浜市議会は圧倒的多数で定数削減を決定したが、それは正しい決定だったのだろうかという疑問である。特に、この決定で、小選挙区と大選挙区で選出される議員が存在することになったが、これは問題ではないのだろうか(同じ疑問は、参議院の選挙区選出議員にも当てはまる)。

 以上の三つの疑問から出発した私の提案は、実現可能性については判断しかねるが、実効性については、現在の制度よりもベターであると考えている。今後、地方議会の選挙制度が、地方分権の流れとあいまって論じられることを期待したい。
 

参考文献
オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」寺田和夫訳、高橋徹編『マンハイム、オルテガ』世界の名著、第68巻、中央公論社、中公バックス版、1979年、所収。
加藤秀治郎編訳『選挙制度の思想と理論』芦書房、1998年。
北岡伸一「危機克服、指導者に権力集中を」『This is 読売』1997年8月号。
今野浩、斎藤精一郎、野口悠紀雄『21世紀の日本』東洋経済新報社、1968年。
谷聖美「ポスト55年体制期における地方レベルでの政治的再編」大嶽秀夫編『政界再編の研究』有斐閣、1997年、所収。
野口悠紀雄「消費的情報交換」『「超」整理日誌』ダイヤモンド社、1996年、所収。
 

1998年9月記