自自連立合意の批評に見る連立政権に対する誤解


 11月19日に小渕首相と小沢自由党党首は、自民、自由両党による連立政権を年内にも発足させることで合意した。その後の動向を見ていると、得意満面の小沢氏に対する反発もあるのか、予算成立までは閣外協力のみを行うとの声も高まっており、事態は依然として流動的である。

 ところで、私が注目したのは両者の合意内容などではなく、この合意が発表された後の各党やマスコミの反応であった。なぜ私がこのような動きに注目したかといえば、これまでの「連立」に対するマスコミの報道の仕方や政治家の言動を見ると、政党間の一定の合意を「ボス同士の取引」とか「政権欲の表れ」、「大臣病の亡者」といった表現で揶揄するばかりであり、ヨーロッパでは主流の連立政治に対する基本的な知識が欠如しているように思えてならかったからである。

 また、支持政党が連立を組もうとすると、国民の間に「結党の精神を忘れるな」とか「権力に擦り寄るなかれ」といった意見が多くなるのもこのような報道や言動の続いた結果にあると思われる。こうした見解は、現在の政党に「独自の政策を維持しろ」という意見であり、政策を軽視してきた日本政治においては貴重な意見といえるだろう。

 しかし、私は、こうした意見を軽々に評価できない。なぜなら、この意見は「連立は合同にあらず」という連立政治の基本原則を理解せずに発せられているからである。

 この誤りは、マスコミの自自連立に対する論評の中にも見られた。例えば、11月20日付の産経新聞の「主張」で「保守陣営の再結集を歓迎」している点があげられる。これは、先に述べた「連立は合同にあらず」を理解していない事が明白である。自民党と自由党は理念が違うからこそ異なる政党として存在しているのであって、両党は単に「保守陣営」の一角に組み込めるわけではないのである。もちろん、小沢氏の目的が自民党との合同であるならば、この見方は間違っているわけではないが、それにしても連立政権樹立の合意に関する日本を代表する新聞社の社説としてはお粗末といわざるを得ない。

 そこで、以下では、連立政権の基本的な原則とは何かを論じ、自自連立の合意がこの基本原則から外れたものでないことを指摘する。しかし、そうであるにもかかわらず、この連立には改革の実効性に大きな疑義があり、評価できないことを主張する。

 まず、「連立」あるいは「連合」の言葉の意味を定義しておくところから始めよう。この2つの日本語は「coalition」の訳語であり、同じ意味である。したがって、90年代初頭まで主に使われていた「連合政権」と、「連立政権」は同じ意味である。そこで「coalition」の意味を調べると「特定目標のために行う一時的な協力」となっており、議会で特定法案を成立させるための協力や(最近では特措法に関する自民党と新進党の協力がある)、選挙で協力して候補者の当選を期すること(選挙協力)も含まれている。連立政権とは、最も強い協力方法ではあるが、以上のような協力のひとつなのである。ここで注意するべきなのは、この協力は中央政府のレベルにとどまるものではないという点である。地方政府の首長選挙における各党相乗りは、まぎれもない連立政権ということができる。

 以上のように、限られた政策目標について協力する事が「連立」であり、その政権レベルでの協力が「連立政権」なのである。こうしてみると「野党協調を乱す動き」(菅・民主党代表)や「自由党は死んだ」(鳩山由紀夫・民主党幹事長代理)といった批判は、的外れであることがわかる。

 なぜなら、政党とは自らが理想とする政策を実現するために存在する集団であるからだ。この場合、自らが理想とする政策を実施するためには、単独政権である事が望ましいだろう。しかし、単独で政権を獲得、もしくは維持できないときには、連立政権に参加して、部分的にでも政策を実施して行こうとするのが本来の姿だと考える。連立政権に参加して政策を実施し、そこで自分たちの政見を訴え、自分たちの政党の有力イメージをアピールする。それと同時に人材の育成を行って、次回の選挙では首班を出す事を目標とする。そして、最終的には単独政権を目指す。この過程が連立政権の妙味なのである。

 小沢氏の訴える改革内容を自民党が本当に実行するならば、それは小沢氏と自由党の戦略が勝利したのであり、連立政権に加わって正解だったといえる。

 しかし、私は今回の合意には反対である。理由は2つある。まず第1に、この合意が実行される見込みはないと思われる事があげられる。今回の改革内容は、従来の小沢氏の主張に沿ったものであり、これが実施されれば改革が前進したと評価されよう。しかし、自民党の基盤は既得権益層にあるため、実際にこの改革が実行される事はないと思われる。このような改革を行えば、自民党が次回の選挙で敗北する事は必至だからである。

 自民党の基盤は、選挙結果や各種の世論調査などを見ると明らかなように、農村や高齢者、また各種利益団体、業界団体にある。それらは官僚組織と密接な関係にあるため、改革を行うことに対して強く反対しているのである。自民党が改革を実行する場合とは、改革を行わなければ政権の座から滑り落ちると思われる場合に限定されるのである。逆にいえば、野党陣営が脆弱化していれば、自民党はまったく改革などを行わず、21世紀のそう遅くはない時期に日本は行き詰まるだろう。そして、国民が自民党に愛想を尽かしたときには手遅れという状況が訪れるかもしれない。

 これまでにも自民党との連立を組んできた政党はいくつかあった。古くは新自由クラブ、最近では日本社会党(現社会民主党)と新党さきがけである。これらの政党は、いずれも利用価値がなくなると自民党に捨てられ、政治的影響力を失っていった。

 こうした考えからすると、自由党は自民党政権の延命に手を貸すべきではない。自由党が自民党との政策の一致を強調するのは、それによって自民党支持層からの支持を受ける事ができるのであれば、間違いではない。

 しかし、野党の仕事は政府を攻撃する事である。第1が政府批判であり、第2が政権奪取の準備である。

 この2年間に、ヨーロッパでは多くの政権交代があった。それらのどの国においても、下野した政党の党首は交代した。例えば、イギリスでは36歳のヘイグ氏が保守党の党首となり、ドイツではショイブレ氏がCDUの党首となった。彼らが就任演説で強調した事は、次の選挙で政権を奪回するということであった。野党は次の選挙で政権を取る事に全力をあげれば良いのである。そのために、政策を練り、候補者を選び、組織を固め、他の政党と連携するのである。こうした観点から見て、小沢氏の戦略は誤りだと思われる。

 第2に、政権の奪回や政権の枠組の組換えは、選挙で行う事が望ましいという点があげられる。最低限、政権の枠組みが変化したならば、その直後に衆議院を解散し、国民に信を問うべきだと考える。今回、小渕首相は臨時国会開会後の衆議院の代表質問で、直ちに衆議院を解散する考えのないことを明言している。

 これでは国民不在の決定であり、民主主義の原則からも、現在の衆議院の選挙制度の理念からも納得のできない決定である。このような国民不在の自自連立政権を、誤りでないという事はできない。

 今回の合意で唯一評価できる点があるとすれば、朝日新聞の11月20日の社説が言うように「自民党に分裂の可能性を持ちこんだ」事があげられるだろう。反小沢色の強いいわゆるYKKの3人などは、今回の合意を強く批判している。自民党が本当に分裂し、新しい正解再編の流れが生まれるならば、小沢氏の意図とは違った部分で国民のための政権が誕生するかもしれない。

 私は自民党が分裂するとは思えないが、来年中には行われるであろう総選挙までの政界の動きに注目する事としたい。
 

   参考文献
岡沢憲芙 『連合政治とは何か』1997年、日本放送出版協会。
加藤秀治郎 『茶の間で聞く政治の話のウソ』1990年、学陽書房。
加藤秀治郎 『増補改訂・ドイツの政治/日本の政治』1997年、人間の科学社。
北岡伸一 「日本政治この一年」『中央公論』1998年1月号所収。
 

以上
1998年12月記